何を見るのか

雄型と雌型、あるいは自己の所在

彫刻における「型(雌型)」を周囲の環境とし、「中身(雄型)」を自己の象徴とするならば、私の輪郭は絶えず環境に侵食され、再構成され続けている。 自己という雄型が外部の影響下に置かれるとき、そこには存在が霧散していくような、消えゆく時間への危うさが宿る。

私が消え去った後に残るのが、その空隙である雌型だとするならば、実体としての私はいったいどこに存在するのか。雄型か、雌型か、あるいはその両者を分かつ「境界」そのものが私なのか。不在と実在の間で、自らの所在を問い続けている。

なにを見るのか
羊毛、膠、石膏
サイズ可変
2006年
羊毛、膠、石膏
500×400×300mm
羊毛、膠、石膏
サイズ可変

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